かずにょんブログ

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【映画レビュー】『余命10年』は他の感動系映画とは一線を画す”名作”だった

映画館

 こんにちは、かずにょんです。

 先日、今話題沸騰中の小松菜奈さんと坂口健太郎さん主演の映画、余命10年』を観てきました。

映画を見てあまり泣くことがない私ですが、この映画のストーリーや小松菜奈さんの迫真の演技に心を打たれ、終盤には涙が溢れてしまいました。

そんな映画、『余命10年』を観た感想や思ったこと、考えさせられたことなどを赤裸々にレビューしていきます!

『余命10年』のあらすじは?

映画

 この映画のあらすじは以下の通りです。

数万人に一人という不治の病で余命が10年であることを知った二十歳の茉莉。彼女は生きることに執着しないよう、恋だけはしないと心に決めて生きていた。 

そんなとき、同窓会で再会したのは、かつて同級生だった和人。別々の人生を歩んでいた二人は、この出会いをきっかけに急接近することに——。 

もう会ってはいけないと思いながら、自らが病に侵されていることを隠して、どこにでもいる男女のように和人と楽しい時を重ねてしまう茉莉。 ——「これ以上カズくんといたら、死ぬのが怖くなる」。 

思い出の数が増えるたびに失われていく残された時間。二人が最後に選んだ道とは……?

小松菜奈さん演じる茉莉(まつり)の感情の動きが鮮明に描かれている映画でした。

残りわずかな人生を楽しみ尽くしたいという思いと、楽しめば楽しんだ分だけ死ぬのが怖くなるという思いの間で葛藤する茉莉。

小松菜奈さんの圧倒的な演技力で彼女にどんどん感情移入してしまい、途中で泣かずにはいられなくなってしまいました。

『余命10年』を観て感じたこと

映画館2

 それではここから、実際にこの映画を観て自分なりに感じたことをまとめていきます。

幸せかどうかはそれに気づけるかで決まる

 この映画の中で、茉莉がお母さんの腕にしがみついて号泣しながら、

「私だってもっと生きたいよ。死にたくない。結婚だってしてみたいし、親孝行だって全然してない」

と訴えかけるシーンがあります。

このシーンで私の涙腺が崩壊したと同時に、今でもこの言葉が胸に残って離れません。

自分にとって当たり前だと思っていることが、誰かにとっては全然当たり前じゃなかったり、自分が何となく過ごしてるその1日が、余命宣告をされた人にとっては何倍も貴重に感じられたりといったように、私たちは目の前に当たり前のように存在しているものの価値を見誤りがちです。

よく言われる言葉のようですが、私はこの映画を観て、改めて深くこの言葉の重要さを噛み締めました。

 振り返ってみれば、自分の人生でも「当たり前」の基準が高くなるに従って、傲慢さが増し、感謝を忘れてしまっていたような気がします。

大学に入学し、一人暮らしをしている私に仕送りをしてくれている両親へ、電話越しに冷たい態度をとってしまったとき。

サッカー部でスタメンとして試合に出続けている時に、自分は上手いんだと勘違いをし、自分のミスを仲間のせいにして逃れようとしていたとき。

自分はまだまだ未熟なので、意識をしていないと、上のようなふとした瞬間に感謝を忘れて傲慢になってしまいがちです。

仕送りをもらって何不自由のない生活ができていること、監督に頑張りを評価してもらえて試合に出られていること。

何気ない「当たり前」に気づき、感謝できるかが幸せを感じられるかどうかに直結しているんだなと、この映画を観て心から実感しました。

優しさって何だろう?

 この映画を見て、「優しさ」とは何なのか深く考えさせられたように感じます。

 茉莉の姉が、新たな治療を試してみないかと茉莉に対して提案したとき、

 「治療法があるなら私だって諦めないよ!治療法がないのに何をしたって意味ないじゃん!」

といった言葉を、茉莉が感情的になりながら、激しく家族に対してぶつけるというシーンがあります。

このシーンで私は、茉莉のためを思ってやった行動によって、茉莉が傷ついてしまうという一連の流れに非常にもどかしさを感じました。

 実際に、私たちの普段の生活の中で、この映画の上記のシーンほど大きな出来事はないにしても、「何が本当の優しさなのか」という判断が難しい場面は多々あります。

相手の気持ちを害さないように何も言わないことが優しさなのか、それとも相手の将来のために、相手にとって耳が痛いことも正直に言った方が良いのか。

落ち込んでいる人に「そっとしておいて」と言われたとき、それでもそばにいてあげるのが優しさなのか、言われた通りに一人の時間を作ってあげることが優しさなのか。

この世界に正解はないとよく言われますが、「その人、その状況、そのタイミングならこうすることが優しさだ」といった、絶対的な優しさなんてものも存在しないのではないでしょうか。

だからこそ、時に「お前のやっていることは優しさではなく、ただの偽善で自己満足だよ」と言われてしまうことがあるかもしれません。

それでも私は、自分がその時々で最善だと思える行動を取り続けていきたいと、この映画を見て感じました。

何が優しさで、何が正解かに明確ない基準が存在しない世の中だからこそ、自分なりの信念に従って判断していくしかないのだろうと思います。

 

何となく生きてる場合じゃない、そう気づかされた

喜び

 邦画の中には、主人公が病気になるという感動系ストーリーの映画がたくさんあります。私自身、鑑賞前はこの映画もそれらと大して変わらないだろうと思っていました。

しかしながら、この映画はそうしたありきたりな映画とは一線を画す美しさや力強さが描かれていました。

人生はあっという間だし、いつ死ぬかなんて本当に分かりません。一日一日を何となく惰性で生きている場合ではありません。

当たり前のことが当たり前にできている現状にまずは感謝をし、生きている間に一つでも多くの喜びを味わえるよう、この映画をきっかけに日常を変えていきましょう!